一目ぼれ、でした。(長文です)


※ この文章は全てフィクションです。また違法行為が疑われる表現が含まれますので、
決してマネしないで下さい。

 
一目会ったとき、好きになりました。
大学の山岳サークルに入会した時に、最初に声をかけてくれたんです。
普段女性に声をかけるなんて、絶対しないタイプなんですが、なぜかその時は
気になって、思い切って声をかけた、と後から聞いたら、言っていました。

その後、今度はこっちから思いっきりプッシュして、
付き合うことになったんです。
それが主人でした。

その後、大学時代は大好きな山歩きを二人でよく行きました。
一年先輩の主人は先に卒業して、大手メーカーの研究員として働いていました。

それから私も大学を卒業して、
私たちは結婚することになりました。
結婚するときの条件として、主人の両親から言われたことは、
〇 主人と私は実家に帰って、家業を継ぐこと
〇 当然、両親と同居すること
〇 私は家庭に入って、家事と家業の手伝いをすること
主人の実家は田舎ですが、旧家で、ご両親とも非常に厳しい人でした。
特に義理の母とは、私とは合わないというか、
とにかく苦手でした。
義父もいつも怒っている雰囲気で、とてもしゃべりにくかったです。

それでも頑張っていろいろとなれない田舎暮らしと濃密な近所付き合いをこなし、
義理の母と義父に従い、言われた通りに過ごしてきたんですが、
だんだん自分でも知らず知らずに気持ちが落ち込む日々が多くなり、
軽い鬱(うつ)状態になってしまったんです。

私の事を心配してくれていたこともあり、
また主人も研究者肌といいますか、あまり人前で話したりということが好きではなく、
仕事にもずいぶん悩んでいた時期もあったようです。

主人が「家業をやめて、別居する」とを宣言してしまったんです。

当然、主人の両親は猛反対。しばらくは言い争いの時期がありました。
でも、主人も頑固なところがあって、
とうとう家を出てしまったんです。

運よく主人の友人の”つて”で中小メーカーの研究員の職を得て、
2人の暮らしはスムーズに行きました。
2人だけの生活は本当に楽園の様な日々で、
子どもはできませんでしたが、私にとって何物にも代えがたい大切なものでした。

そんな楽園に陰りが見え始めたきっかけは、
ある朝の主人の言葉からでした。

「最近、体調が良くないんだ。。。」

その時は大したことない、と主人はあまり気にしていないようでした。
でも、
その体調不良が長引き、しかも少しずつ悪化しているような気がすると
言いだして、病院に行くことを相談しました。
病院に行ったことなどほとんどない主人は、すごくいやそうだったんですが、
何か不安がよぎった私は、引っ張っていくように、連れて行き、
精密検査を受けました。

結果は「がん」
しかも、ステージ4。
いわゆる末期がんです。

この宣告を受けてから、私は少しずつおかしくなっていたのかもしれません。
主人よりも私がろうばいしてしまって、
病院からどうやって帰ったかも覚えていません。

本当に困ってしまいました。
誰かに相談したい、
でも、相手がいません。
私は一人っ子で、
両親は早くに亡くなってしまっていて、
相談できる人がほぼ全くいなかったんです。

主人の体調は日に日に悪くなってしまって、
会社も辞めざるを得ない状態でした。
自宅で静養をしばらくしていたんですが、やはり入院しなくてはならなくなりました。

入院した後は本当に驚くほど急速に体力が衰えて、
日に日に死が近づいていることを実感させられ、
主人の顔を見ることさえ、辛くなりました。

本当に私一人で、不安で不安で、誰かに相談したくて、
とうとう「二度と連絡してくるな!」とまで言われた主人の実家に
電話してしまったんです。
主人には、なにがあろうと実家には連絡するな、と言われていたのに。

主人の両親が初めて病院に来られた時には、
主人はほとんど意識も失いかけていて、私が誰なのかもわからない状態でした。
義理の母と義父にはずいぶん叱られました。
「どうしてもっと早く連絡しなかったのか!」と。

それからは、よくわからない状態でした。
主人は、義父の知り合いの国立病院に転院させられ、
私は面会にも行けない状態になってしまったんです。
それでも私は、もしかしたら主人が快方に向かう可能性があるのでは?
などと僅かなの望みを託していました。
今から思えば、本当におかしくなってしまっていました。

その半月後、主人は亡くなりました。
主人の亡くなったことだけは、連絡がありました。
でも、
葬儀も参列させてもらえませんでした。
何もかもどうでもよくなってしまっていたのかもしれません。
その時は。
主人がこの世にもういない、ということを受け入れる、
認めることが出来ずにいたように思います。

日々、息をしているだけ。
後は何もしていないような日々が続いていました。
主人はおそらく実家のお墓に納骨されているはずでした。
でも、その実家のお墓も場所が分からない。
どこにあるのかも分からない。

そんなことはどうでもいい、
そんな気持ちでした。

そんな日々がしばらく過ぎ去って、ある日、大事な書類が入った引き出しから
あるものを見つけたんです。

「永代使用許可証」

最初は何かが分かりませんでした。
何の書類なのか??

でもしばらくして、思い出しました。

「あ、そうだ、お墓だ」
まだ主人が元気なころ、突然、お墓を作ろうと言い出したんです。

「二人だけのお墓だ。もし子供が出来たら、子どもも入ってもいいけど、
出来なければ、それはそれでいい。二人だけのお墓にしよう」

そう言って、お墓を作ったんです。

それまでずっと忘れていたんですが、その書類を見つけて
思い出したんです。

 

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大北 和彦(おおきた かずひこ)
1966年生まれ。昭和元年頃から続く「大北石材店」3代目。さほどの強い動機もなく始めた石材業だったが、仕事を通じて石にかかわる楽しさ、墓の素晴らしさに目覚め、お墓のプロの証「お墓ディレクター2級試験」第1回試験に合格、その翌年初めての「お墓ディレクター1級試験」にも一発合格し、但馬で唯一の「お墓ディレクター1級を取得する石材店」となる。
本人は兵庫県でも指折りの「お墓好き」を自任するが、その大好きな墓石について、困っている、悩んでいる人が多いことに気づき、墓石についての疑問・質問に答えるため「お墓Q&A」をブログにて執筆中。
1000記事を目指している。