人間から記憶というものがなくなったらどうなるのでしょうか?

おおきた石材店 代表 大北和彦
〇 お墓ディレクター1級
〇 墓地管理士
〇 石材施工技能士1級
〇 技能顕功賞
〇 一般社団法人日本石材産業協会正会員
おおきた石材店
昭和の初めより三代続く、兵庫県豊岡市の小さな石材店。震度7の地震でも倒れなかった「地震に強いお墓」と特許技術「雨漏りしないお墓、信頼棺」の正規代理店。百年後に残るお墓を作っています。

今ある社会はなくなりますね。人間として成り立つこともできなくなります。それほどまでに「記憶」というものは、人の成り立ちの多くの部分を占めています。
大切な人、大切な場所、忘れたくない思い出。
忘れたいこと、思い出したくない記憶、触れたくない出来事。
古い古い忘れていた景色、幼いころの風景、恐れでしかなかったあの地。
そういった自分の中にある「記憶」がなくなったら、生きて行けるのだろうか。
おそらく心の支え、になっているものもあるでしょう。
人生の指針になっている出来事もあるでしょう。
一生を通して目指すべき目標のようなものもあるでしょう。
記憶とは、本当に厄介で、大切で、切っても切り離せない人生の核のようなもの。
実は、「お墓」も本来は自分の「記憶」と密接に関係しているものであります。
お墓って、他人にとっては、言葉は悪いですが、全く価値はないものです。
でも、本人にとっては、何物にも代えがたい、何をおいても守っていきたいものでもあります。
それは、その人の「記憶」があるから。記憶の中でその人にとっての大切な価値がある。
ですから、まだ若い世代は「お墓」というものに価値を見出せないのだろうと思います。あまり記憶がないから。
年をとるとともに、大切な出来事が記憶に残り、決して上書きできない記憶が記録されていくうちに、
その記憶を呼び戻す「きっかけ」としてのお墓の価値が分かってくるのではないかなと、個人的に考えています。
人間の記憶って、ある「きっかけ」で取り出せたり、蘇らせたり、再現できたり、掘り起こせたり。
その「きっかけ」が音楽だったり、言葉であったりしますね。
最後に私の記憶を呼び戻す「きっかけ」を紹介します。
さくら(独唱) 森山直太朗
♪僕らはきっと待ってる
君とまた会える日を
桜並木の道の上で
手を振り叫ぶよ♪
この曲は「卒業」だけではなく、「友への鎮魂」の歌詞でもありますね。
「お墓」もそういうきっかけになることが出来るんですよね。
















