こんにちは。兵庫県豊岡市のお墓と墓石のアドバイザー、おおきた石材店の大北和彦です。
春になると、山や海沿いを歩く機会が増えます。
石屋という仕事柄、歩きながらふと足元の石や、道端の石積み、古い蔵の基礎石が気になってしまいます。「これは何の石だろう」「この石はどこから来たんだろう」——職業病のようなものかもしれません。
今日は、お墓の石の話から少し離れて、但馬・豊岡の地元の石についての話をします。庵治石や天山石のような全国ブランドの話ではありません。この地域に住んでいる方にしか馴染みのない、でも私には愛着のある石たちの話です。
「玄武岩」という名前の発祥地——豊岡
但馬を代表する石といえば、まず玄武岩です。
玄武岩公園(玄武洞公園)は但馬の有名な観光地ですが、実はここは単なる観光地ではありません。「玄武岩」という地質学上の学術名は、この玄武洞に由来しています。
命名には2段階あります。まず1807年(文化4年)、江戸時代の儒学者・柴野栗山がこの洞窟を訪れ、岩石が作る節理の形や断面の模様から中国の四神「玄武」を連想して「玄武洞」と命名しました。次いで1884年(明治17年)、東京帝国大学の地質学者・小藤文次郎が、英語の「basalt」の日本語訳として玄武洞にちなんで「玄武岩」と命名しました。これが世界共通の地質学用語として定着したのです。兵庫県の石にも認定されています。
世界中の地質学の教科書に載っている「玄武岩(basalt)」という岩石名の原点が、豊岡にある——これは意外と地元でも知られていないことです。
玄武岩の特徴は、冷えて固まるときに5角形・6角形の柱状節理(柱状の割れ目)を形成することです。玄武洞の断面を見ると、無数の六角柱が整然と並んでいる美しい光景が広がっています。この柱がスライスされるように割れていく性質が、玄武岩らしさの正体です。
田鶴野地区を中心に、豊岡市内でも玄武岩の石積みが今も各所に見られます。古い農家の石垣、水路の護岸——普段何気なく見ている石積みの多くが、この玄武岩です。
先日、玄武洞公園で玄武岩の美しさに魅了された方が、おおきた石材店を訪ねてこられました。公園の玄武岩は天然記念物のため持ち帰ることができず、近くの石材店を探して来られたのです。玄関の柱の沓石(くついし)に使いたい、というご要望でした。この地域ならではの石を建物に取り入れたいという感覚、石屋として嬉しいご依頼でした。
石材店として補足しておきます。玄武岩とお墓の関係は、「使えない石」ではありません。
古いお墓を見ると、玄武岩が使われたものがかなりあります。柱状節理で割れた石のうち、比較的割れずに長い状態のものを、地元では「鉄砲石」と俗に呼んでいました。この長い石を竿石に見立て、文字を彫刻してお墓に使っていたのです。昔の石屋は地元の石の性質を知り尽くした上で、使える石を選び、工夫して使っていました。
では、なぜ今は使われなくなったのか。お墓が大型化し、全面磨き仕上げが主流になってきたからです。全面磨きの大きな竿石を作ろうとすると、それに見合う大きさの玄武岩が必要になります。柱状に割れる性質の玄武岩からそれだけ均一で大きな石を取り出すことは、現実的に難しい。こうして、お墓の近代化とともに玄武岩は墓石材として使われなくなっていきました。
沓石・石段・石積みといった用途には、今でも地元の石として誇りを持って使いたいと思っています。
さらに、玄武岩を薄くスライスして敷石・張石として使うエクステリアも、実際に施工しています。不規則な多角形に割った玄武岩をパズルのように敷き詰めると、黒々とした独特の表情が生まれます。御影石や磁器タイルとはまったく違う、この地域らしい風景になります。

また、玄武岩の自然な形状を活かした表札・看板も制作しています。石の天然の輪郭をそのままに、文字を彫刻したものです。豊岡という土地に由来する石で作った表札——それは単なる「名前を刻んだ板」ではなく、この土地とのつながりを持つものだと思っています。
玄武岩の表札・看板はおおきた石材店のECショップでもご覧いただけます。
玄武岩に似て、まったく違う石——村岡の味取石
但馬の北部、村岡区に「味取石(みどりいし)」と呼ばれる石があります。別名「俵石」とも言われます。
見た目は玄武岩とよく似た黒っぽい石ですが、割れ方がまったく違います。玄武岩が柱状節理でスライスされるように割れるのに対し、味取石は玉ねぎの皮が剥けるように——外側から層状に割れて、だんだん小さく細くなっていく性質を持ちます。同じように見える石でも、内部の構造がまるで異なるのです。
この味取石の性質は、地元の石屋の間でも知る人は少なく、味取石を日常的に扱う地元の石材店でなければ知らない話だと思います。
以前、味取石で建てられた古いお墓を移転する機会がありました。かなり年代を経たお墓でしたが、その造りが見事でした。俵型の石(ちょうどクッションほどの大きさ)が6つほど集まって円形を作り、天端を磨いた台石。その上に二回りほど大きい中台石、さらに上台石、そして一抱えほどもある背の高い竿石。台石・中台石・上台石はいずれも天端が磨かれていましたが、竿石の天端だけは加工されておらず、石の天然の形状のままでした。
現代のお墓とはまったく異なる様式ですが、地元の石を知り尽くした石屋が、その石の性質を活かして建てたことが伝わってくる、という意味で印象に残っています。味取石が「俵石」と呼ばれるのも、この俵型の形から来ているのでしょう。
海の底が固まった石——竹野石
もうひとつ、但馬で親しみのある石が「竹野石」です。
竹野石は堆積岩です。大昔、海の底に積もった砂や泥が長い年月をかけて固まったもので、石の中に貝殻が含まれていることがあります。実際に私も見たことがありますが、それほど多くはありません。ただ、石を割ったときにそれが現れると、「この石は何千万年も前の海の底にいた」という感覚がして、少し不思議な気持ちになります。
竹野石の特徴のひとつが、熱に強いことです。花崗岩(御影石)は熱に意外なほど弱い石ですが、竹野石は高温に対して安定しています。この性質から、豊岡地方の古い和風建築の蔵や住宅の基礎石として広く使われてきました。今でも豊岡市内の古い建物を見ると、基礎部分に竹野石が使われているものをよく見かけます。
この熱に強い性質を見ていると、ピザ窯に使えないかという発想が浮かんできます。まだ構想段階ですが、竹野石のピザ窯——地元の石で焼いたピザというのは、面白いと思っています。必要な石の量が多いので現実的には難しいですが、いつか試してみたい。
但馬の石でお墓は建てられるか
「地元の石でお墓を建てたい」というご要望を受けることがあります。気持ちはよくわかります。
ただ、正直に言うと、現在採掘されている但馬の石でお墓に使えるものは、ほぼありません。玄武岩は加工適性が低く、味取石・竹野石も墓石材としての品質基準を満たすことが難しい。
かつて、神鍋石という石が採掘されており、墓石に使われた記録もあります。しかしこちらはすでに閉山してずいぶん経ちます。残念ながら今は入手できません。
現在、お墓に使われる石の多くは国産であれば九州・四国産、輸入品であれば中国・インド産です。但馬の石でお墓を建てることは、現時点では現実的に難しい状況です。
それでも、玄武洞に由来する「玄武岩」という名前が世界の地質学用語になっているこの地域に、石屋として仕事をしていることは、少し誇らしいことだと思っています。
春の散歩で、足元の石を見てみてください
但馬・豊岡を歩くと、あちこちに石があります。田鶴野の石積み、古い蔵の基礎、山道の石段——それぞれに由来があり、地域の人たちがどんな石をどう使ってきたかの記録でもあります。
春の山歩きのついでに、足元の石を少し気にしてみてください。「これは玄武岩かな」「この蔵の基礎は竹野石だろうか」——そういう見方が加わると、散歩がちょっと違ったものになるかもしれません。

お墓ディレクターの視点
石屋をしていると、石の名前や産地が自然と気になるようになります。玄武岩という名前が豊岡に由来しているという話は、地元の方にもあまり知られていないのですが、知ってもらうと「へえ、そうなんや」と喜んでもらえることが多いです。お墓に使える石は限られていますが、地域の石の文化として、竹野石の蔵や玄武岩の石積みはもっと注目されてもいいと思っています。今は「石で作られた建物や構造物」に目が向く人が少なくなりましたが、それらは地域の先人たちが残してくれた遺産でもあります。


















