「終戦の日」です
おはようございます。
台風が接近中の兵庫県豊岡市です。
但馬、豊岡のお墓と墓石のアドバイザー、おおきた石材店、大北和彦です。
「終戦の日」です。
このお盆の期間、あるいはその前から「戦争」に関する映画、ドキュメンタリーをいくつか見ました。
「硫黄島からの手紙」
「激闘ガダルカナル悲劇の指揮官」
作品の内容の是非はここでは書きません。がその戦争に参加した兵士たちの苦難は心が痛みます。同じ日本人として。本人はもとより、残された遺族にとっても、非常に厳しく辛いことであったことは想像すらできないほどのことがあったでしょう。
たくさんの日本人の命が奪われました。
それは戦争であるなら仕方ないことなのかもしれませんが、その亡くなった人々を慰霊、供養するため、たくさんの戦死者のお墓が建てられました。
建てた人の多くはお父さん、お母さんでしょう。大切な息子、最愛の息子を戦争というもので失った。
生きていた証として、慰霊のためにも、せめてお墓はしっかりとしたものを建てたい、という気持ちはわかります。「軍人塔」という戦死者の方のお墓には、そういったご両親、家族の願いと想いが詰まったものなのでしょう。
私の伯父さんの家でも「軍人塔」のお墓が建っております。お墓の引っ越しをするとき、伯父さんは
「ご先祖のお墓は整理して一か所にまとめてしまっても構わないが、この軍人塔に眠る〇〇さんのお墓だけは何としても新しいお墓にそのまま移したい」と強く望んでいらっしゃいました。
大切な息子を亡くしたご両親のお気持ち、遺族の想いはたとえ戦後70年が経過しても全く色あせない、そういうことなのでしょう。
今の私たちにとって、「死」というものは、どこか遠く隔離されてどこか現実感の不足したものとして捉えがちですが、かつて「死」が身近で、それと隣り合わせの時代に生きていた人たちは、理不尽と思えることでとてもあっけなく最愛の人と別れなければならなかったはずです。
大切な人を亡くしてしまった。その代わりとして「お墓」というものを建てた。建てたいと願った人たちは日本全国にたくさんいらっしゃったでしょう。
忘れようとしても決して忘れられない、そんな人のために何かを残したい、何かをとどめたい。そんな思いのために建てられたお墓。
お墓というものを改めて見つめなおした、考え直した今年の「終戦の日」でした。