お墓じまいがまだまだ続いています。日本からお墓がなくなったら、どうなるか、少し考えてみました。

◇ お墓ディレクター1級:お墓のプロの証、1級取得者は全国で2桁
◇ 墓地管理士:お墓、納骨堂、永代供養墓の法律の専門家
◇(一社)日本石材産業協会正会員、兵庫県支部理事
◇ 石材加工技能士1級:石の加工の技能を表する国家資格
◇ 雨漏りしないお墓「信頼棺®」正規代理店
◇ 「地震に強いお墓」施工店
おおきた石材店
昭和の初めより三代続く、兵庫県豊岡市の小さな石材店。震度7の地震でも倒れなかった「地震に強いお墓」と特許技術「雨漏りしないお墓、信頼棺」の正規代理店。百年後に残るお墓を作っています。

日本人は「お墓不要」?
最近、お墓離れとか、「お墓じまい」の急速な浸透が話題になっています。
日本全国、お墓はもういらない、という雰囲気ではないのか、と感じます。鎌倉時代から続く「お墓」という文化がなくなってしまうのか、とさえ感じます。
でも、私は日本には、日本人には「お墓」は必ず必要なもの、だと思っております。
「あなたは石屋さんだから、そう言うでしょうね」

おそらくそう思われているのかもしれません。
口に出さなくても。分かります、その考え。そう見られても仕方ない部分もあります。現に私はお墓を建てさせていただいて、生活しております。
しかし、それ以前に、私は日本人で、日本という国に愛着を強く感じています。日本の文化がなくなるのは、寂しいだけではなく、おそらく「お墓がある日本」と「お墓がない日本」は全く違うものになってしまうだろうと思うからです。
今、一定数の日本人が「お墓が必要ない、なくてもいい」と考えているのは、かつての日本人とは、大きく違ってきているからです。
死を体感できない日本人
最近の日本人は身近な人の「死」を体験せず、大人になって行く人が多いと聞きます。
葬儀に参列した時、小さな子供を見かけること、少なくないですか? 子供の都合を優先させて、葬儀や通夜式に参列させない親が多いと聞きます。
人の死ということが体感できない人が増えている、そう感じませんか?
葬儀業者に聞いた話
葬儀関係の人に聞いた話ですが、ある男性が亡くなって、その家族の元に葬儀の打ち合わせのために行かれた時、体を冷やすために体にドライアイスをたくさん当てて、その日は帰ったそうです。ところが、その後、その家族はなんと、そのドライアイスをすべて取り去り、体を温めていたそうです。それで翌日、大変なことになってしまったそうです。
どうして、そんなことをしてしまったのか?その理由は。。。?
「お父さんは寒がりだったから」

遺族の皆さんの気持ちは、確かに分かりますが、そうすると、どうなるかを想像できなかったのかもしれません。
人が亡くなる、死ぬということをあまりにも現代の日本人は知らないし、体感できていない、実感としてわかっていない。そうとしか思えないのです。人が亡くなるというのは、想像以上に大きなことです。
私の体感した「死の風景」
私は、小学校6年生の時、父方の祖父を自宅で亡くしました。その頃はただただ怖くて、可愛がってくれたおじいちゃんが死ぬという意味がよく分かっていませんでした。
中学生の時、祖母を亡くしました。その時も自宅で亡くなって、自宅で葬儀をしました。その時は怖いという気持ちは少なかったですが、「人が死ぬ」ってことをよく考えました。自分は死んだらどうなるのだろう、どこへ行くのだろう。そんなことばかり考えていた気がします。
大学に入るか入らないかのころ、自宅に引き取っていた母方の祖母を自宅で亡くしました。普段は都会で暮らしていたのですが、帰省した時はいろいろ話を聞いてくれていた祖母だったので、悲しかったし喪失感も大きかったです。
そして、40代前半で父を亡くしました。わずかの期間でしたが闘病生活を過ごし、病院で亡くなりました。すでにこの仕事をしていたので時間があれば病室に見舞いに行っていて、最期も看取りました。この時は、ほんとに大きな喪失感を感じました。と同時に私にとって父という存在の大きさを改めて痛感しました。
家族を亡くして感じたこと
4人の肉親を亡くしたのですが、それぞれ感じたことは違います。違いますが、共通することもあります。それは、「喪失感」です。今まで、さっきまで生きていた人が、今はいない。その喪失感はとてつもなく大きなものです。大切だった、大好きだった、いや大嫌いだった。どんな形であれ、近しい近親者を亡くすことは大変な喪失感を伴います。それは、自分自身が感じていなくても、体と心には大きなダメージを負っているのです。
儀式の受け持つ役割
誰かを亡くして、喪失感を感じること。それを「グリーフ」と呼びます。
突然襲われたグリーフ。大きな喪失感とともにある悲嘆、悔悟、不安。そのグリーフを癒すことを「グリーフケア」とか「グリーフサポート」とか言います。グリーフケアしてくれるものは「人」と「時間」と「通過儀礼」です。
家族や周りの人の助け、そして、「忘れる」という人間に備えられた機能を使って時間とともに癒されるグリーフケア。
通過儀礼としてのグリーフケア
ただ日本人はそれだけではなく、通過儀礼、言い換えれば儀式によって「グリーフケア」をしていたのです。「グリーフ」を感じるとほぼ同時に始まる儀式、「通夜式」「告別式」「葬儀」。これは亡くなった人とその近しい人とのお別れの儀式であると同時に最初のグリーフケアの機会なのです。
それから、しばらくはグリーフケアの性格を持った「儀式」あるいは「儀礼」が続きます。最初は頻繁に、時間とともに間隔が開いて、タイミングが伸びます。そのほとんどの儀式は、一度きりで終わるとなくなってしまうものです。
その中で、唯一、形として残る「グリーフケア」の装置が「お墓」なのです。(やっとお墓が出てきましたね。お待たせしました。)
「お墓」の役割とは?
数多くの一連のグリーフケアの仕組みの中で最後に、永遠に残る形の「グリーフケア」としての「お墓」。ただの装置ではなく、生きていた人の一部である「焼骨」が収めるための「お墓」とは、最も大切にしなくてはならないものであるはずです。
本当にありがたいことだとは思いませんか?お墓を持っている、ということに。
永代供養墓もいいかもしれません。
海洋散骨も海が好きなら選ぶのも頷ける。
樹木葬もいろいろありますが、場合によってはいいのかもしれません。
ただ、「お墓」の本来持つ上に記した効能はありません。本当に「お墓じまい」してしまっていいのですか?
最後に残されたグリーフケアとしてのお墓
ご先祖様が大切に守ってきたお墓。ご両親、おじいちゃん、おばあちゃんが何より大切にしてきたお墓。その人々が生きるための糧となっていたお墓。あなたが関わるよりはるかに長い間、多くのご先祖様、他人ではないご先祖様が、大切に大切に守ってきたお墓。
少々乱暴すぎませんか?
お墓ってそれほど軽いものではありません。
お墓とは、かつて自分が生まれて、生きてきた証を石に刻んで建てた大切なモノ、だったのです。お墓をなくすこと、あなたが考えるほど、気軽でたやすいことではないです。ご先祖様が大切に守ってきた証を断ち切る行為ではないですか?
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