「納骨口」ってどうしてできたの?
おはようございます。
兵庫県豊岡市のお墓と墓石のアドバイザー、おおきた石材店、大北和彦です。
今日は雨降り、台風が近づいているそうです。今年最後の台風になってくれたらいいのにね。
和型のお墓には2重台と3重台があります。ごくたまに4重台とかもありますけどね。。。(^_^;)
Q246~2重台?3重台(http://ohkita-sekizai.com/?p=15156)
で、実際どちらがいいのか?となると、難しいものがあります。予算とか墓地の広さとか。。。ただ違いと構造とをよく知っていると選ぶ時、決めやすいのでお伝えします。
2重台の和型のお墓の構造
2重台のお墓の見分け方は「水鉢石と花立石が台の上に乗っているか、板石の上に乗っているか」ですね。
上の写真、水鉢と花立の石は。。。板石の上に乗っていますね。
台が①、②と二つあって、二重台というのが分かります。(横から見たら一目瞭然)別のお墓でも見てみましょう。
このお墓は、ちょっとごちゃごちゃしてますが、2重台です。水板という石の上に花立と水鉢石が乗ってますね。(水鉢石の下に経机という台が更にある独特の形状です)
おそらく、この2重台がお墓の元々の形状だと思います。2重台でしかも元々は納骨口すらなかった。土葬ですからね。必要ないのです。土葬して、何年かして、土葬の棺がつぶれて、それからお墓建てていたはずです。納骨口が出来たのは、火葬になってからです。
2重台があって、その時代が長く続いていました。ところが火葬の時代になって、跡からではなく、最初にお墓を建てても大丈夫ではないか?と気づいて、亡くなってすぐにお墓を建てることが増えたかもしれません。ご夫婦のお墓の場合、ご主人が亡くなってお墓を建てて、ご主人のお骨はお墓の石の下に埋葬されていますが、奥さんは後から納骨しないといけないですよね。どうやってする?となって、横とか後ろとかに穴を掘って、そこからお墓の下になるようにお骨を押し込むように入れて、「納骨」されていたはずです。
実際、そのようなお墓を見た記憶があります。あるいは、お墓の横、ぜんぜん墓石の下ではなく、墓石の横に埋葬されていたお骨も結構ありました。
昔は個人のお墓、夫婦のお墓が普通だったのでそうしていたでしょう。ところが個人のお墓が「家族、一族の墓」つまり「家墓」になったので、たくさん納骨しなくてはならなくなった。そこで、より納骨しやすく、たくさん納骨できるように、3重台が発明された、というのが流れだと思います。
3重台の和型のお墓の構造
ちょっと汚れている写真で申し訳ないですが、これが3重台のお墓の写真です。
一番下の3重台、俗に芝台とも言いますが、この石の上に花立石、水鉢石が乗っています。
そして、その水鉢石をどけると納骨口が見えます。この写真では、骨壺が見えています。
つまり、「水鉢の石と花立の石が一番下の台(3重台)の上に乗っている」のが3重台なのです。
2重台では、お墓の下に納骨するスペースを用意しなくてはいけないのですが、お墓の基礎でもある部分なので、そんなに大きくできないです。でも火葬を始めた直後、焼骨をそのまま埋蔵していたはずの頃は2重台でも十分だったと思います。ところが、骨壺に入れて四九日(満中陰)まで自宅に安置して、そのまま壺ごとお墓に納めたいとなったとき、
「2重台では狭いな」となったはずです。そうなったとき、石屋さんが思いついたかどうか分かりませんが考え付いたのが、
「台をもう一つ増やそう」ということです。そうすれば、広いスペースに納骨できる。もっとたくさん納骨できる。
そうなると「もしかして、夫婦2人だけではなく、家族全員のお骨も納められるかも!!」と思いついて、家族のお墓= 「家墓」が発明、大流行した!!
というのは、私の妄想ですが、当たらずとも遠からず、ではないかと思います。3重台が発明されなければ、「家墓」もあり得なかったはずです。特に関東の「全骨をお墓に納める」という習慣は、2重台ではまず無理です。
まとめ
お墓の形なんて、全く変わってないはず、と思っていましたが、実は時代の流れと需要に応じて、お墓も構造が変わってきていたんですね。
であるなら、これからも様々なニーズ、需要に応じて、お墓も変わってくるはずです。今、お墓いらない、という人が増えてきていて、お墓自体は減ってきていますが、それでもどうしてもお墓を持ちたいという人は一定数いて、その中でも、新しいニーズに対応した、新しい形、構造のお墓に代わってくるはずです。
いつまでも、昔と同じ形、構造のお墓では、魅力はますます失っていくばかりでしょう。