兵庫県豊岡市のお墓と墓石のアドバイザー

あなたはなぜお墓を建てるの?

  
\ この記事を共有 /
あなたはなぜお墓を建てるの?

そもそも論、かもしれませんが、そんなこと考えてみました。
「お墓」を建てる10個の理由を考えてみました。


◇兵庫県豊岡市のお墓のアドバイザー大北和彦です

兵庫県豊岡市のお墓と墓石のアドバイザー、おおきた石材店です。

☑ 兵庫県北部で唯一の「お墓ディレクター1級」
☑ 雨漏りしないお墓「信頼棺®」正規代理店
☑ (一社)日本石材産業協会正会員
☑ お墓の法律のプロ、「墓地管理士」取得

おおきた石材店はお墓のことを全く知らない人にも、お墓を建てる時に大事なことをわかりやすくお伝えすることを第一に考えて情報発信しています。


お墓って、他人から見たら、全く価値がない、どうして建てるの? と思ってしまうもの、です。それなのに、高額な費用をかけて、どうして建てるのだろうと思ったのです。その理由を考えられるだけ挙げてみます。

1、故人を偲ぶ場所の確保

一番大きな理由だと思います。人が亡くなる、ということの重大さは他では代替えできないおおきなもの。ましてやそれが親族、家族、自分にとって支えとなっていた人とすれば、巨大すぎる出来事でもあるかもしれません。

やはり心の問題が一番重要なのですね。特に、残された遺族、友人、近隣に住む方々にとって。

2、供養の実践

その大切な人が亡くなった。そのままには出来ないのはあらゆる意味で当たり前。

と、同時に人と言えど生命体ですから、死とともに肉体は変化していきます。そのままでいさせること自体が法に触れる可能性もありますから、何らかの方法で供養することが求められます。高度に社会化している私たちの住む世界では、それがルールです。

お墓はその供養の最終地でもあります。

3、家族、親族のつながりの象徴

家族、親族と言えども、必ず一体とは限らない時代です。かつては当たり前だった時代、でもこれからはそうとは限らない時代。唯一と言えるかどうか分かりませんが、その現代の家族が一つに集まれる場所、集まれる存在、それがお墓なのかもしれません。

お墓参りのために、長い距離、移動して、故郷のお墓参りする、お盆、お彼岸の風景はそういった一面もあります。

4、遺骨の安置場所

「供養」して、残された最後の形がご遺骨です。そのご遺骨の安置場所がまさしくお墓。ここが今大きく変化しようとしています。お墓という家族単位の供養する場所から、一定の緩い”くくり”での集合墓となりつつあります。

5,社会的、文化的な習慣

家族の問題だけではなく、社会的、文化的な習慣、つまり、「世間の常識」とも言い換えられる部分。誰もが当たり前に家族が亡くなったら、お墓を建てるものだ、という決まった習慣、固定された概念、あたりまえになっている文化があります。 というかありました。

今は大きく変化する時代。そのお墓の文化、お墓を建てるという文化も大きく変動しようとしています。

6,生きている人の拠り所

家族を失い、家族の概念も希薄化しつつある現在、その支えであった故人とのつながりは「お墓」だけになってしまったともいえます。「魂は仏壇にある」という考えもありますが、お墓以上に仏壇のない家は増えているそうですし、いつでも仏壇にお参りできるかどうかは、距離、人間関係などが関係してくることもあります。

「拠り所」としてのお墓は存在を大きくしつつあるのかもしれません。

7,命日や節目の参拝場所

日本人は節目が結構好きですね。元旦三が日の「初詣」とお盆のお墓参りはまだ国民の半数以上がいくと思われます。節分、節句、と言った節目も大事にしている人は多いです。春分、秋分の日も「お彼岸」と呼んで、お墓参りする習慣が根強いです。

こう書くと節目とお墓参りは強く紐づいている気がします。日本文化の根本なのかも。

8,故人の存在の証

大切だった故人。かけがえのない存在だった故人。その亡くなった人が存在していた証のようなもの、でもあります。特に、自身にとってかけがえのない人だった場合、お墓を残したいという願いは強いですね。

「故人の存在の証」、正しく生きていた証として建てられる人は多いです。

9,子孫への教育的義務

「お墓」と「供養」という存在が日本文化だとすれば、当然それは子孫への教育として、むしろ「後世に残したいたいせつなもの(こと)」として、子供たち、その子供たち、そのまた先の。。。と考えることは普通の考えだと思われます。

その子供やその先の未来に伝え、残すことこそ、文化となると思われます。逆に言えば、それが途絶えると文化は消滅する、ということですね。

10、遺族の責任感や義務感

残された遺族にとっての責任として、お墓を建てる。お墓がないならば、なおのことお墓を建てなければならない。そういう考え方、社会的義務がかつての日本にあったのは確かです。
それが、今は「お墓」ではなくなった。お墓以外でも、ご遺骨を納骨できる場所であれば、という時代でもあります。

ご遺骨の安置場所は「お墓」だけではなくなった。それでも、ご遺骨を安置するつまり、「供養」は歴然とあります。そこは文化となっている。場所、方法が多様化されたということです。

まとめ

こう見ていくと、「お墓」とは、実際上、必要な場所「供養、納骨」という部分と残された遺族、家族、友人、知人にとっての心の拠り所である、という部分が主な理由ですね。

それ以外に、社会的通念、世間という視線を意識している部分もある程度ありそう。日本人らしい側面です。ただそれが多くの人が続けることで、「日本人の文化」となるという側面もありそうです。

お盆の時期に故郷への帰省ラッシュと日本全国で行われる、お盆期間中の灯明を灯してのお墓での参拝の姿はもはや、日本の風物詩というより、文化となりつつあるように思えます。