昔のデザイン墓に出会う
昔のデザイン墓に出会う!


◇兵庫県豊岡市のお墓のアドバイザー大北和彦です
兵庫県豊岡市のお墓と墓石のアドバイザー、おおきた石材店です。
☑ 兵庫県北部で唯一の「お墓ディレクター1級」
☑ 雨漏りしないお墓「信頼棺®」正規代理店
☑ (一社)日本石材産業協会正会員
☑ お墓の法律のプロ、「墓地管理士」取得
おおきた石材店はお墓のことを全く知らない人にも、お墓を建てる時に大事なことをわかりやすくお伝えすることを第一に考えて情報発信しています。
デザイン墓、というのは、周囲のお墓とは少し異なる形状、構造、姿かたちのお墓、という認識なんですが、おおきた石材店の最大の特徴は「周囲と同じお墓は出来れば建てたくない」があります。
ですから、こういったお墓が主になります。






ですが、実は昔の石職人さんも私と同じ思いを持った人がいたんだと、そう感じるお墓を発見しました。先日、東京の早稲田大学近くの寺院墓地へお邪魔した時、見かけたお墓です。

寺院墓地で見かけたお墓。両端は「大名墓」と呼ばれる形状。頭の上に大き目の笠が乗っているタイプのお墓です。大名墓と俗に呼ばれる形なんですが、大名のお墓がこの形が多いのかどうかは不明です。
江戸時代は徳川家の菩提寺と言われるのは「浄土宗」の7本山の一つ、芝の「増上寺」と初代家康公の知恵袋と言われた天海僧正が開いた天台宗の総本山「寛永寺」なのですが、天台宗の影響か、五輪塔が大名の間に流行して、多くの大名が五輪塔のお墓を建てたのです。でも時々こういった上に笠が乗ったお墓も見かけますね。

そして、その隣にあったのが、このお墓。真ん中は俗にいう、無縫塔(むほうとう)と呼ばれる丸い禅宗の僧侶のお墓かな、と思ったりするんですが、その両隣り。丸い石が乗っているお墓。時々見かけるんですが、どういった経緯のお墓か私は正確には知りませんが、一説には真言宗系の僧侶のお墓では? とも言われますが、現代で言えば、一種の「デザイン墓」ではないのかな、と思っています。
隣のお墓とは違う、自分の個性を出したい、という方は昔も今もいらして、NHKの「ブラタモリ」という番組を見ていてもそういう人の想いが時々、いろいろな場面で出てきたりします。
特に「江戸っ子」と呼ばれる江戸に住んでいた人々はそういう気持ちを強く持っていたように思えますね。
昔も今も、「デザイン墓」は素敵です。